1.初めに

私たち「ぬまんちゅMUSIC LOVERS」は、前半は調べ学習、後半は和楽器合奏に取り組みました。調べ学習は、「沼島上掾vや沼島太鼓について調査しました。「沼島上掾vは南北朝時代の話で、太平記の巻十八に載っている沼島に数ある物語の中では一番ドラマチックなストーリーです。そして、伝統的な沼島太鼓も、沼島の人々にとってはとても大切なものです。その「沼島上掾vと沼島太鼓について知りたいと思い、地域の方々に協力していただきました。

和楽器合奏は、「沼島上掾vのストーリーにもとづいた沼島中学校オリジナルの曲を、和楽器で演奏しました。

 

2.沼島太鼓の起源

沼島は古来水軍の島として知られている。

現在沼島八幡宮夏季例大祭に巡行する壇尻(曳き壇尻)で打ち鳴らされる太鼓は、文禄、慶長の役で脇坂安治が率いる水軍として朝鮮へ出兵した折の「攻め太鼓」と伝えられている。

 

 その太鼓が、沼島衆独自のものなのか、脇坂水軍共通のものなのかは、詳しい資料が残っていないので定かではないが、文禄の役では脇坂水軍は1500名、慶長の役では1200名と記録され、沼島水軍はその一部として機能したことは間違いない。

 

脇坂安治は文禄の役における閑山島海戦では敗北、慶長の役では鳴梁海戦で勝利、実質の朝鮮撤退戦となった露梁海戦では、死闘を繰り広げており、客観的戦果からすると、その厳しさから当時の太鼓を誉として打ち鳴らし続ける根拠に乏しいと言えるかもしれない。

 

従って、沼島の水軍太鼓が後世まで伝わった理由は、中世から沼島固有のリズムであったか、苦戦の中に沼島衆が誉とするに値する、独自の活躍があったと考えるのが自然であるが、脇坂安治が、朝鮮の役後、三千石の加増を受けていることから、文禄、慶長の役を通じて、脇坂軍が一定の評価を受けるべき活躍した事は間違いないと言えるだろう。

 

 特に曳き壇尻の太鼓が当時の様子を残すと伝えられているが、東、泊に伝わる太鼓は完全に類似しているとは言い難いが、阿波蜂須賀水軍である椿泊の森水軍太鼓の面影を残しているように思われる。

 実際東、泊地区は、蜂須賀藩政時代の水夫(かこ)としてはもちろん鱧縄を通じても阿南地方とは関係が有ったと考えられ、その類似も今後の研究課題としなければならない。

 

 又、この文禄・慶長の役が沼島にもたらした恩恵は、武勲だけではなく、対馬、五島等九州方面の漁場の発見があり、実際幕末までは沼島の余所行きとして、泉州をはじめ瀬戸内海周辺の漁村に、その威容が伝わっており、その収入が沼島の経済的発展の一翼を担ったと言えよう。

 実際その伝統から起こった、明治以降、下関、五島、朝鮮の漁場での活躍は、日本水産の前身である山神組などの活躍や、現在の中央魚類の発展の原点である事は間違いないだろう。

                               〔沼島伝統文化保存会の資料より〕

 

3.「沼島上掾vのあらすじ

今から700年近く前、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと、戦いを始めていたころの話です。ある朝、淡路島の南に浮かぶ沼島の水の浦の浜辺に、小舟が流れ着きました。漁師たちが船の中を見ると、十二単を身にまとった女性が倒れていました。

女性は、「都の後醍醐天皇の皇子である尊良親王の妃です。戦があって、尊良親王が土佐国に移される罰を受け、後を追って土佐に行くところでした。」

 土佐に移された尊良親王は、しばらくしてから家来の秦武文を送って、都に残してきた妃を呼んだのです。大物浦(現在の尼崎市)から土佐へと向けて船出することにしました。

 ところが、妃が乗ろうとした船は、海賊船だったのです。海賊船の首領は、妃に付き添っていた武文を言葉たくみにだまし、陸に置き去りにして船を出しました。だまされたことに気づいた武文は、小舟に乗って必死に追いかけましたが、とても追いつけず、ついに海に身を投げ自殺してしまいました。

 しかし、海賊船が鳴門の海峡に近づくと、にわかに空がかき曇り、海には大渦が起こって、横なぐりの雷雨が吹きすさぶと、船は木の葉のように波にもまれ始めました。そして、荒れ狂う海の中に、武文の亡霊が現れたのです。

 首領は、「これは海の神の怒りだ。これをしずめるには妃を海に放すしかない。」

と考えました。妃は小舟に移され、荒れ狂う海に放されました。妃はいつしか気を失ってしまいました。

 妃は島の人たちの手厚いもてなしのおかげで、すぐに元気を取り戻しました。しかし、それにつけても思い出されるのは土佐にいる夫のこと。

 やがて戦いは収まり、後醍醐天皇が都で新しい政治を始めることになり、土佐の尊良親王も都に帰ることができました。八方手をつくして妃が沼島にいることを知った親王は、すぐに妃をむかえる使者を送りました。

 妃はすぐにでも都に帰ろうとしました。ところが、船を出そうとするとまたいつかのように海が荒れ、大風が吹きすさびはじめました。妃をしたう島の人々は口々に、「これは海神のおいかりじゃ。お妃様はやはり島にいてくだされ。」と頼みました。

 それでも妃に都に帰る決心は固く、ふところから紙を取り出すと、自分とは似ても似つかない醜い女性を描き、「わたくしの姿は、このようなものですよ。」と海に流しました。すると、大風はぴたりと収まり、もとの静かな海に戻りました。

 島の人々は、涙ながらに妃を見送りました。それからというもの、沼島の人々は近くの海でとれるオコゼによく似た魚のことを、「沼島上掾iぬしまじょうろう)」と呼ぶようになったのです。

                          〔ひょうご歴史ステーション『ひょうご伝説紀行−妖怪・自然の世界−』より抜粋〕

 

4.「沼島上掾vについて

◇下のような質問について、地域の方々に聞いてみました。

○王の森とはどういうものですか?

→南区の伊藤庭園辺りのこと。西光寺もその辺にあったらしく、昔は神聖な場所でした。

○なぜ「ぬしま」ではなく「むしま」だったのですか?

→昔は“ぬ()”が言いづらかったから。沼島のことを「武島」と言っていました。正確に言うと、現在の「む」の発音とは違いました。 

○なぜ、今は「かんがり」と呼ばれているのですか?

→沼島上揩ヘかんがりとは別のものです。かんがりとは沼島の方言です。                                        

○妃が住んでいたのは今のどのあたりですか?

→南区の伊藤庭園や八角井戸のあたりに大寺という寺(西光寺)がありました。その付近に住んでいたそうです。

○秦武文の亡霊がでてくる物語は、南北朝の内乱を描いた軍記物『太平記』に見られるもので、江戸時代の名所案内類にもよく載せられている物語です。かつては、よく知られていた尼崎の伝説の一つでした。

 

 ◇おのころ会創立50周年記念誌『おのころ島物語』より

 

○「上掾vとは高貴な婦人の意味で、それが時代と共に(じょうろう)(じょろ)に簡略化され、文字も遊女のように女郎になりました。

 ○魚のなかで一番美男、美女にあたるのが一般に鯛だと思われていますが、魚仲間ではおこぜ類が高貴な、みやびた魚であるといわれています。現在ではかんがりとかクンゾと呼ばれていますが、日本魚類図鑑を見ても、オコゼに似ていますが顔の感じがやわらかく、オコゼとは全々違う魚です。

 ○旧大寺は、王家にあやかって、その後王寺と書かれ、この付近を王の森、王寺の森と呼ばれ、格式の高さを認められた同寺は、王流院の院号を冠しました。天正年間(15731592)に移転し、海照山西光寺として現代に至ります。

○妃と共に海賊船から沼島に流された少年は、後に京へのぼり、橋本修理という名を賜り、その子孫は今も沼島に居るといわれています。

  

 5.和楽器合奏「沼島上掾v組曲について

  沼島に伝わる「沼島上掾vのお話を、和楽器の合奏曲で表現しました。沼島中学校音楽班のオリジナル曲で、学習発表会で初披露しました。

 

この曲は、次の4つの場面からできています。

  第1章 お妃が皇子を追って、京の都を旅立つ場面。

    第2章 海賊船にだまされ、お妃を連れ去られたお供の亡霊があらわれる場面。

    第3章 お妃が沼島に流れ着き、島で暮らす場面。

    第4章 お妃が都に帰るとき、荒れた海をしずめるため、絵を描いで荒波に投げる場面。

 
〈演奏者〉          

       三味線  M.Y  S.H

      筝    S.Y

     十七弦  A.I

     篠笛   Y.H

 
               

6.演奏練習について 


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今年の音楽班は全員和楽器合奏が初めてで、楽譜の読み方も分からない状態でした。和楽器の楽譜は、普通の五線譜と全く違って、漢数字で書かれています。そして今年は5人という少ない人数で、箏が1人、十七弦が1人、篠笛が1人、三味線が2人でした。だから、1人1人の責任が重く、それだけにとても強い責任感をもって、練習に臨みました。

最初は、ほとんど個人練習で、一人一人の演奏がしっかりできるように、練習に励みました。

みんなで合わせる時は、なかなかタイミングが合わず大変でしたが、練習をするごとに息が合うようになって、最終章まで通すことができるようになりました。DSCN0645.JPG

本番一週間前には、南あわじ市で箏と三味線を教えておられる村居先生が今年も来てくださって指導をしてくださいました。

三味線では、撥の使い方を教えてもらい、音が大きくて響く音を出せるようになりました。箏では、響かせる音が出せるように指の力の使い方を教えてもらい、三味線と箏の音がよく響き合うようになりました。

先生が初めて来た時より、上手に演奏ができた時、ほめてもらったことが嬉しくて本番に向けての自信となりました。

 





7.小・中合同学習発表会

学習発表会では、「沼島上掾v組曲を演奏しました。二学期の最初から一生懸命練習してきましたが、予行練習では初めてセンターの舞台での演奏ということもあって、それぞれの楽器のタイミングが合わず、上手に演奏ができませんでした。そんなこともあったので、本番に向けて少し心配な気持ちが残りました。

 本番の日、休憩が終わりいよいよ音楽班の出番がきました。予行練習での反省を生かして、前日の練習では念入りにきちんと合奏練習をしたので、本番は少し安心した部分もありました。始まったと思っていると、あっという間に演奏も終わり、拍手がわきあがりました。結果、今までで一番それぞれの楽器ともあっていて、とてもいい演奏になりました。本当に良かったです。









 

8.「沼島を知る活動」を終えての感想


M.Y

学習発表会では主に、和楽器演奏をしました。予行のときはみんなの音がバラバラで私自身も自分のことで精一杯で、まわりの音を聴いて演奏することができませんでした。「こんな調子で本番大丈夫かな」と、不安ばかり募ってゆきました。しかし、本番は多くの人を目の前にしても動じず落ち着いて演奏できたと思います。

私は三味線担当でした。三味線は一番上の太い弦が「一ノ糸」、真ん中の弦が「二ノ糸」、そして一番細い弦は「三ノ糸」と呼ばれ、この3本の糸で音を奏でてゆきます。また、三味線は“弾く”のではなく“叩く”という先生の教えから、「打楽器やねんな、」と思いました。

繊細な楽器なので、強く叩くと弦が切れてしまうし、裏の皮が破れたりと大変でした。

正直、三味線は正座で足が痛いし、手首も疲れるので挫折しかけたこともありました。でも練習をしているうちに和楽器の楽しさを感じられるようになりました。

本当に音楽班でよかったと思います。「ぬまんちゅMUSIC LOVERS」のメンバー最高!1年間ありがとうございました。これで心おきなく卒業できます。


S.Y

 1学期、音楽班のメンバーで話し合って決まった楽器が箏でした。第2希望の箏だったけど、今では箏を選んでよかったと思えるようになりました。

 私の演奏した箏とは、弦が13本あり、全体的にとても高い音です。爪をつけ、ただ弾くのかと思っていたけど、「沼島上掾vの楽譜は「すくう」や「おさえる」、「トレモロ」などといった技もありました。中でも難しかったのは、「ウン」と休みがなくずっと弾き続けるところです。ややこしく弾き間違いなどがあったので大変でした。

本番が近づくと、箏の先生が来て、いい音の出し方などいろいろ教えてもらいました。すると、それまで大きい音があまり出なかったけど、大きく響く音が出るようになったり、あまりリズムが合わなかったけど合うようになりました。

 本番も今までにないくらい全員がそろい、とてもいい演奏になりました。今回の演奏はとても楽しかったです。


Y.H

 私は、この音楽班で篠笛をしました。たて笛に比べると横笛は、指が見えなくて指づかいが難しかったです。そのうえ、吹口に唇の角度を上手に当てないと、なかなか音がでません。息もたくさん続かなかったので頑張って練習しました。

 本番は緊張してあまり観客を見ていられなかったけど、ミスはあまりなかったのでよかったです。来年も音楽班になったら、篠笛をやりたいです。

 

 





A.I

  私は、一番大きい十七弦を弾きました。十七弦とは形は筝に似ていて、17本の弦がついています。合奏の「大黒柱」の役目を果たす楽器です。一緒に演奏していた「筝・篠笛・三味線」と比べると音がすごく低くて失敗すると目立ちます。だから、一つ一つの音をしっかり確認して弾かなくてはいけなかったので、最初はすごく苦戦しました。特に、4章目は周りのみんなが私の音に合わせて演奏していたので、すごく責任があって本番でも緊張しました。とても心配だったけど無事、失敗せずに終わることができました。今年、初めての「沼島を知る活動」だったけどしっかりやりきれてよかったです。

 

S.H

 私は三味線を弾きました。理由は、ギターが弾きたくて、似ているような形だったからです。

 いつもは、楽譜といえば「音符」だけど、三味線の楽譜は漢数字だったので、最初は読み方が分からなくて少し遅れ気味でした。でも、先生に教えてもらったり友達に教えてもらったから、楽譜を読めるようになり、自分で工夫して演奏練習に取り組むこともできました。

 そして、すらすら弾けるようになったら、みんなと息が合うようになり、いい音が出るようになったので、練習がとても楽しかったです。

 本番は、予行が失敗ばかりだったので、少し不安の残る本番だったけど、みんなの音を聞いて演奏でき、自分なりに頑張れたので、今までの演奏の中で一番良い演奏になったと思います。

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