刻銘瓦(こくめいがわら)と刻画瓦(こくががわら)

 庄田八幡神社往古の拝殿は飛騨の工、武田番匠が建造したという伝説で名高いが古来国主武将の崇敬の厚いことでも名高く、なかでも永正四年(文明三年ともいう)倭文領主船越左ェ門慰定氏が慶野潜洲が渕の大蛇退治をして領民の危害を除くことを祈願し、その功なりて鳥の舌雁股の二鏃を当社に奉納したのを慶長年中大阪城の遺臣入交隼人という人が請け負い受けて京都に持ち去ったことが古記に見えている。

 ついで天文八年(一五三九)には船越氏の類族と見られる加地左京之進、加地六郎兵ェが社殿を改装して更に宏壮森厳を加えた。
 当社における刻銘瓦については、当社八幡宮社務所に三枚と、当地加地家に二枚が秘宝として保存されている。そして、社務所にあるのは平瓦であり、加地家にあるのは丸瓦であり、いずれもへら書きしたものである。



刻画瓦


刻銘瓦


  文化財・遺跡のトップページへ

   風土記のトップページへ

   倭文中のトップページへ